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桂米朝が肺炎で死去!人間国宝にもっとも影響を与えた男って誰? [訃報]

巨星墜つ!

人間国宝で上方落語四天王の一人、

桂米朝師匠が3月19日に肺炎のため死去されました。


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享年89歳

当代一といわれる約130に上るネタ数と芸人性と知性を兼ね備え、上方落語を今日の隆盛に導いた名人中の名人でしたね。

合掌











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桂米朝とは・・・なんて書きません!


ふつう、こういう時は「桂米朝とは」とか桂米朝師匠にまつわることを書くんでしょうけど、

それは“ウィキペディア”や“NAVERまとめ”にお任せします。

私なんかが書いてもね、意味ないですから。

それより、米朝師匠に“もっとも影響を与えた男”のことの方が気になりませんか?




桂米朝にもっとも影響を与えた男


米朝師匠にもっとも影響を与えた男とは、

正岡 容(まさおか いるる)

という方、作家、落語・寄席研究家で歌舞伎役者の六代目尾上菊五郎の座付作者ともいわれた方です。

19歳で発表した小説『江戸再来記』が芥川龍之介に絶賛され文筆活動に入り、江戸期の戯作本の研究から明治大正期の寄席芸能に関する論文やエッセイ、自作の落語の台本を精力的に発表しました。




“ジャズ”と呼ばれる


この正岡容さん、賑やかな人柄で喜怒哀楽が激しく、独特の笑い方をすることから

ジャズ

と、言われていたみたいですね。

お酒が好きで、わがまま、しかも酒癖が悪いらしく、

機嫌が悪い時は弟子を破門したり、友人と絶交したりしたそうですが、

すぐに心変わりして仲直りしていたそうです。

まさに“ジャズ”

アドリブがきいてるんでしょうか?




桂米朝と正岡容の出会い


米朝師匠が正岡さんの名前を知ったのは、徳川無声さんの

くらがり二十年」という本の中だったそうです。


徳川夢声のくらがり二十年

徳川夢声のくらがり二十年

  • 作者: 徳川 夢声
  • 出版社/メーカー: 清流出版
  • 発売日: 2010/12
  • メディア: 単行本




中学四年生くらいのころだったそうで、ヘンな名前やなぁと思ったそうですが、

落語の本があまりなかったころに

「円太郎馬車」や「狐祭」などを出していたんですね。

そして、だんだん米朝師匠は正岡容にハマっていき、昭和18年に上京します。


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正岡容さんは、桂文楽の師匠でもあった「三代目三遊亭円馬」に弟子入りし自ら落語を演じたことのある人で、小説家であり稀代の落語・芸能評論家でもあった方です。

正岡さんが米朝師匠に対して上方落語の復興を叱咤激励しなかったら・・・

今の上方落語はなかったといわれています。

最後に桂米朝の師匠、桂米団治師匠の言葉で締めくくりたいと思います。

「芸人は、米一粒、釘一本もよう作らんくせに、酒が良(え)えの悪いのと言うて、好きな芸をやって一生を送るもんやさかい、むさぼってはいかん。ねうちは世間がきめてくれる。ただ一生懸命に芸をみがく以外に、世間へお返しの途(みち)はない。また、芸人になった以上、末路哀れは覚悟の前やで」


桂米朝師匠のご冥福をお祈りいたします。


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